トランプ政権とハーバード大学の対立に見る、米国の安全保障政策の変化
日本でも、トランプ政権がハーバード大学への助成金を一部凍結したことがニュースになっています。
これも闇が深い問題ですが、「米国の安全保障政策の変化」と見ることで、理解が深まるのではないかと思います。
ハーバード大学のガーバー学長による公式発表によると「ハーバード大学はトランプ政権の要求に従わない」としています。なお、前学長のクローディン・ゲイ氏(初の黒人女性学長)は、反ユダヤ主義許容の批判や論文盗用疑惑を受けて、バイデン政権下の2024年1月に学長を辞職しています。前学長の論文盗用疑惑は、今回のトランプ政権からの要求内容にも影響を与えています。
ハーバード大学からの回答は、次のような内容です。至極真っ当な模範回答と言えるでしょう。
・政府が推し進める改革は法律から切り離されている
・大学は独立性を放棄したり、憲法上の権利を放棄したりするつもりはない
・大学は反ユダヤ主義との闘いに引き続き尽力している(反ユダヤ主義を許容していない)
・70年にわたるパートナーシップを振り返ると、政府の投資は見事に報われている
それでは、トランプ政権はハーバード大学に対して、どのような要求をしていたのでしょうか。これもハーバード大学が公開しています。
ハーバード大学に対するトランプ政権からの要求は、次のように整理されています。
1)ガバナンスとリーダーシップの改革
2)実力主義採用改革
3)実力主義に基づく入学制度改革
4)留学生入学制度改革
5)入学・採用における視点の多様性
6)反ユダヤ主義またはその他の偏見に関する重大な記録のあるプログラムの改革
7)DEI(多様性、公平性、包摂性)の廃止
8)学生懲戒改革と説明責任
9)内部告発者報告と保護
10)透明性と監視
1のガバナンスについては、学術よりも社会活動に注力する教員(終身在職権の有無を問わず)および管理職の権限を削減することや、改革の実現可能性を阻害するガバナンスの肥大化・重複・分権化の形態の削減などを求めています。
2の実力主義採用については、人種、肌の色、宗教、性別、または国籍に基づく優遇措置を行わないで、実力主義により採用して、昇進や報酬等を実施することを求めています。また、前学長の論文盗用疑惑を受けて、職員採用時における剽窃(盗作)の有無についての審査の実施を求めています。
3の実力主義に基づく入学制度についても、同様です。この要求が行われた背景としては、バイデン政権下の2023年に米連邦最高裁が「ハーバード大学が行ってきた黒人優遇入学は違憲(アジア系が不利になる差別がある)」と判断したことがあります。この判決の影響は大きく、有名大学における入学者の比率に変化(黒人とヒスパニック系の減少、アジア系の増加)をもたらしています。
4の留学生入学制度については、米国憲法や独立宣言に記されたアメリカの価値観や制度に敵対する学生、特にテロリズムや反ユダヤ主義を支持する学生の入学を防止することを求めています。米国では、国土安全保障省(DHS)が学生・交流訪問者情報システム(SEVIS)を管理して、留学制度を悪用したテロ活動を監視しています。
5の入学・採用における視点の多様性は、入学・採用で特定のイデオロギーを優先するような基準、優遇措置、慣行等の廃止を求めています。リベラル系の大学では、特定の思想や考え方を過度に優遇するあまり、それ以外の思想や考え方を排除する傾向が生まれ、それが言論統制や人事権を利用した圧力となっています。
5で述べたような極端な思考や思想の押しつけは、6の反ユダヤ主義やその他の偏見に関する重大な記録のあるプログラムの改革、7のDEI(多様性、公平性、包摂性)の廃止ともつながっています。6については、反ユダヤ主義的嫌がらせの助長やイデオロギーの乗っ取りを反映しているプログラムや部門への外部監査の実施を求めています。要求には、具体的なプログラムや部門も例示されており、トランプ政権や国土安全保障省が既にハーバード大学の実態を調査して問題を把握していることがわかります。
8の学生懲戒改革と説明責任については、学内における犯罪行為、違法な暴力、違法なハラスメントなどに厳しく対応することを求めており、過去にあった学内施設の不法占拠やテロ支援活動等の事案を挙げています。これらの活動は、普通に勉強したい学生にとっては迷惑行為でしかないでしょう。
9の内部告発者報告と保護については、大学における職員や学生に対する思想弾圧や言論統制を考慮して、改革への不遵守を大学指導部と連邦政府の両方に報告できる手続きを直ちに確立し、内部告発者を保護することを求めています。
10の透明性と監視については、大学が完全な透明性とすべての連邦規制当局との協力を確保するため、組織変更を行うことを求めています。また、大学は連邦政府が納得できる形で、すべての外国資金の出所と目的を明らかにして、連邦政府と協力しながら外国からの資金源と使途に関する法廷監査を実施することも求めています。これは、現在の中国政府が行っている「見えない侵略」への対抗措置と考えられます。
こうして両者の言い分を1次情報源で確認すると、ハーバード大学の回答が真っ当であるのと同じように、トランプ政権からのハーバード大学への要求も至極真っ当なように見えます。トランプ政権からの要求の文末には、「ハーバード大学が革新的な研究と卓越した学術という本来の使命に立ち返ることができるよう、これらの重要な改革の実施に皆様の迅速なご協力を期待しています」とあります。調整次第では、両者の言い分のすり合わせは可能だと思うので、今後の動向に注視したいと思います。
もう一つ重要なのが、「米国の安全保障政策の変化」という視点です。
まず予備知識として、ハーバード大学の著名な化学者チャールズ・リーバー教授が中国の人材募集プログラム「千人計画」への関与を巡り米司法省に訴追された事件を紹介しておきます。
チャールズ・リーバー(Charles Lieber)教授は、ハーバード大学化学・化学生物学部の元学部長であり、ナノテクノロジー分野の世界的権威として知られていましたが、中国政府が推進する海外高度人材招致プログラム「千人計画」への関与を巡り、2020年1月28日に米司法省により逮捕・起訴されました。この事件は、米国の「チャイナ・イニシアチブ(中国政府による経済スパイ活動、知的財産の窃取、技術移転の不正行為に対抗する政策)」の一環として、中国による知的財産の窃取や経済スパイ活動に対抗する取り組みの中で注目されました。
リーバー教授は、外国からの資金提供を開示する義務を果たさずに、米国立衛生研究所(NIH)や米国防総省から1500万ドル以上の研究助成金を受け取っており、捜査員への虚偽の説明、虚偽の所得税申告、海外銀行口座の申告漏れ等の重罪で起訴されました。裁判の結果、すべての罪状で有罪とされ、2023年4月にマサチューセッツ州の連邦地裁で判決が言い渡され、彼の健康状態を考慮した上で「2年間の監視付き釈放(実質的な保護観察)と罰金8万3000ドル」が確定しています。
ハーバード大学は有罪判決を受けたリーバー氏に対しても有給で休職扱いにしていましたが、2025年8月現在、ハーバード大学化学・化学生物学部の教員リストに彼の名前は確認できません。また、2025年4月にリーバー氏が中国の清華大学の大学院である清華深圳国際大学院(SIGS)の常勤教授に就任したことが報道されており、新設された深圳医学研究翻訳アカデミー(SMART)の研究員としても雇用されています 。
今回のハーバード大学に対する要求内容を見ると、対中国や対共産主義思想への防衛の強化がうかがえます。これまで手が出しにくかったことで隠れ蓑とされてきた大学等の教育機関や研究機関に対しても、トランプ政権ではかなり踏み込んで安全保障対策を実施してくるのではないかと思います。