文明と戦争 (上) (下)

文明と戦争 (上)
アザー・ガット (著), 石津朋之/永末聡/山本文史 監訳 (監修), 歴史と戦争研究会 訳 (翻訳)
中央公論新社
文明と戦争 (下)
アザー・ガット (著), 石津朋之/永末聡/山本文史 監訳 (監修), 歴史と戦争研究会 訳 (翻訳)
中央公論新社

上下巻で1000ページほどの学術書なので、読むのは大変かなと思いましたが、書かれてある内容が面白いので、読み終わるのにあまり時間はかかりませんでした。

人間の本質を知るのに戦争と宗教は欠かせないと思うので、本ブログでも「戦略論の原点」などを紹介してきました。しかし、本書に至っては、多様な学問領域に及ぶ事象に対して、非常に深い考察を展開しており、著者の研究姿勢には驚くばかりです。

人類の歴史を語る上で戦争は欠かせないものであり、現在の平和な時代は、極めて短期間の状態に過ぎません。生存あるいは人間の欲望を満たす手段としての戦争は、つい最近までは最も合理的な選択であり、それゆえに戦争が続けられてきたことがわかります。人々の争いが耐えない時代においては、戦争が日常の暴力による死傷者を減らす効果もありました。

戦利品として、食料や貴重品の他に「女性」があり、国際的な条約が整備された現代の戦争においても、一部の兵士によるレイプ等の暴走を完全に防ぐことはできません。

通商がグローバルに展開されるようになると、人間の欲望を満たす手段としては、戦争よりも貿易等のビジネスを活性化させる方が合理的となり、戦争は無い方が良いと考えられるようになりましたが、それは豊かになった国でのみ通じる理屈であり、現在でも貧困は常に戦争の原因になっています。

本書には、知的好奇心を刺激する記述がたくさんありますが、宗教と戦争に関する部分を少し紹介しておきましょう。

『愛と慈悲、非暴力の宗教として創始されたキリスト教は、後に不信心者や異端者に対する残忍な好戦的傾向を発展させ、教義と実践の両面において、その対極にあるものと、ぎこちなく、しかし継続的に同居することとなった。』

『宗教的な非難にもかかわらず、キリスト教とイスラム教の双方の内部において戦闘が絶え間なく続いているという耳障りな事実は、単に、潜在的な力にかかわらず、戦争を生み出す動機と現実を根絶するには宗教イデオロギーが実質的に無力であったこと示している。』

『キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、そして仏教徒の間でさえ、禁欲的な狂信者が優秀な戦士となってきたのである。』

どんな宗教であっても、その効果を否定するものではありませんが、常に副作用が伴うことを認識しなければいけません。

およそ完全な思想やシステムといったものは存在しませんが、仮に存在するとしても、それを取り扱うのが不完全な存在である人間なのだから、そこから生まれる結果は常に不完全なものでしかありません。

だからこそ、常に宗教には副作用が伴うということを認識しながら、自分たちの行動がもたらす結果について、思慮深い判断が求められることになります。

神様が(いたとしても)暴走することはありませんが、人間は常に暴走します。神様は人間にバカにされたぐらいで怒りませんが、人間は怒ります。自分たちが敬う神様を他者にも認めて欲しいという欲望を満たすために、戦争やテロを起こして殺し合う可能性を抱えています。

常に自分自身が暴走してしまう危険があり、かつ自分の周囲にいる人たちも同じように暴走してしまう可能性があることを受け止めていなければならない。あらゆる権力の座にある人にとっても、同じようなことが言えます。

本書を読んでいて、そんなことを思ったのでした。