医療データ共有が進まない本当の理由──電子カルテ標準化より先に必要な「患者中心のデータガバナンス」

電子カルテ及びレセプトコンピュータ標準仕様書(基本要件)(案)が、医科診療所向けと中小病院向けとに分けて策定・公開されて、意見募集をしています。
公示:2026年2月24日  締め切り:2026年3月24日
https://public-comment.e-gov.go.jp/pcm/detail?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495250451&Mode=0

医療データ共有を進める上で最優先すべきなのは、電子カルテの標準化ではありません。必要なのは、患者の権利・義務を明確にした「患者中心のデータガバナンス」を先に確立し、その上で医療機関のデータ提供を制度的に義務化することです。技術的標準化は、その後に初めて意味を持ちます。

医療データの共有について、推奨される順序としては

  1. 患者の権利義務の確立
  2. 患者中心のデータガバナンスの確立
  3. 医療機関のデータ提供義務化
  4. 電子カルテの標準化

なのですが、日本は4から進めている印象があります。必要なのはベンダーやシステムごとの差を吸収できる制度設計であり、差を技術で強引に無くそうとしても効果は低いでしょう。


API接続・FHIR準拠対応を強く求めても、共有は保証されていない

仕様書の大部分は、電子カルテが各種医療DXサービス群(オンライン資格確認、電子処方箋、電子カルテ情報共有サービス、共通算定モジュール前提のクラウド型レセコンなど)と標準APIで接続するための連携要件を詳細に定めています。

これにより、電子カルテ情報共有サービスへの接続機能自体は必須要件として明確に位置づけられています。つまり、仕様に準拠した電子カルテであれば、少なくとも共有サービスへのデータ登録・抽出は技術的には可能になる設計です。

しかし、仕様書では「電子カルテ情報の標準化等」を目的に掲げつつ、基本要件の段階では主に「接続APIの標準化」「データ移行の互換性確保」「クラウド対応」に力点が置かれ、院内データの完全なセマンティック相互運用(異なるベンダー間での意味論的一致)を強制する内容にはなっていない印象です。

このような標準仕様書で、接続は推進するが「提供」は努力義務・インセンティブ頼みにすると、半永久的に電子カルテ情報共有は進まないでしょう。参加率が低迷→共有データ不足→利用価値低下→さらに参加意欲減退の悪循環に陥るリスクが非常に大きいです。任意・インセンティブ頼みは、電子処方箋の事例(医療機関導入率が長らく低迷)で既に証明されています。


必要なのは、医療機関のデータ提供義務化

「医療機関のデータ提供義務化」がもたらす効果について、政府や関係者でもあまり認識されていないのは、「データの相互運用性の確立」です。

データ提供の義務化(またはそれに準ずる強制力)が実現すれば、政府指定の標準フォーマット(FHIR準拠など)での出力・登録が強制されるため、ベンダー・システム間のデータモデル差異が実質的に無効化され、意味論的相互運用性(セマンティックインタオペラビリティ)の本質的な解決につながります。

データ提供の義務化により、医療機関(およびベンダー)は、共有サービスへの登録時に、厚生労働省が定めた「法的に正規化されたデータ項目・構造・コード(例:3文書6情報+拡張予定の項目)」を厳密に守らなければならなくなります。

内部データモデルが独自のままでも、出力時(エクスポート/登録時)に変換・正規化が必須になるため、ベンダー間の差が「見えなくなる」ということです。結果として、異なる電子カルテ間でのデータ抽出・共有が、ほぼ自動的に意味論的に一致するようになり、シームレスな相互運用が可能になります。

これは、会計ソフトがクラウド型でもローカル型でも、電子申告や財務書類の電子保存等に対応していれば、ベンダーやシステムごとに機能やデータ構造に差があっても問題が無いことと同じ考え方です。


データガバナンスにおける患者の権利・義務の役割

「医療機関のデータ提供義務化」を実現するためには、国家として「患者中心のデータガバナンスモデル」を確立する必要があります。

医療分野におけるデータガバナンスとは、「医療データの収集・管理・利用・保護を体系的に統治する枠組み」を指しますが、そこには患者の自己データへの権利(アクセス権、コントロール権、同意権など)と義務(データ提供への協力や正確性確保など)の明確な確立が不可欠です。これにより、信頼性が高まり、共有サービスの利用が進む可能性が高まります。

権利の確立:
患者が自身のデータを閲覧・管理・共有制限できるようにすることで、プライバシー保護と透明性が向上します。結果として、患者の信頼が高まり、データ提供への抵抗が減ります。

義務の確立:
患者側にデータ共有への協力義務(例: 法令でデータ共有をデフォルトにする)を課すことで、データ量が増え、全体のガバナンスが強化されます。ただし、強制ではなく、opt-out(拒否権)付きでバランスを取るのが理想です。

これにより、ベンダー間のデータモデル差異を超えた実質的な相互運用が実現し、中途半端な状態を防げます。ガバナンスが弱いと、データ漏洩リスクや不信感が生じ、共有が進まない悪循環に陥ります。

これはエストニアのモデルを参考にしていますが、エストニアでは患者の権利義務が確立していることもあり、拒否権を行使する患者の割合は人口の0.2%未満です。

こうした患者の信頼と低い拒否権は、国が医療データの正本性とアクセスログを保証し、患者が「誰がいつ自分のデータを見たか」を常に確認可能だからです。共有を全て拒否するだけでなく、ケースごとに拒否する(例:精神疾患の治療歴については共有しない)ことができる柔軟性もあります。また、緊急・救急医療のためには、患者(データ主体)が拒否できない特別な緊急データモジュールが用意されています。

医療分野のデータガバナンスを患者中心に再設計すれば、義務化の効果が最大化されます。日本はエストニアを参考に、「デフォルト共有+opt-out」や「アクセスログの完全公開」を導入することで、信頼を高め、中途半端な状態を回避できます。

現在のように標準化先行・任意参加を続ける限り、2030年目標は達成困難です。しかし、診療報酬改定や法改正で、患者の義務(協力)を明確にしつつ権利を強化すれば、2030年目標(全医療機関共有化)が現実的になるでしょう。