文明の衝突、ほど良い距離感で付き合える「多様性が当たり前の社会」を

文明の衝突
サミュエル・P. ハンチントン
集英社

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「10年ひと昔」と言いますが、10年ほど前(20世紀末)に書かれた本書を読み直すことで、当時と現代の世界地図を比較するのも楽しい。

本書で何度も出てくるのが「同化」という言葉。

「同化」と言うと、「同化政策」など「無理やりに同化させられる」といった受動的・否定的な捉え方が一般的と思いますが、実は「良いものや必要なものをうまく取り入れる」といった能動的・肯定的な意味もあります。

例えば、日本における「神仏習合」や「本地垂迹説」などは、能動的・肯定的な同化と言えなくもない。

日本人は、能動的・肯定的な「同化」が割と得意なのかもしれません。

先日、フランス製のホラー映画「フロンティア」を観ていたら、「お前は、アラブ人か?」といったセリフがありました。

(キリスト教系と思われる)白人によるセリフですが、フランスにおけるアラブ人・ムスリム(イスラム教徒)の位置づけや、同じ移民であるアフリカ系黒人との違いを多少なりとも知っていると、なかなか重い一言です。

受動的・否定的な同化を嫌うムスリムに比べると、フランスの黒人は能動的・肯定的な同化を上手に活用していると思います。

しかし、ムスリムやイスラム教が能動的・肯定的な同化を苦手としているかと言えば、必ずしもそうではないような。。

コーラン でも、マイナーだったイスラム教がメジャーになっていく過程で、時代や社会に順応していく様子が読み取れます。

実際、日本で生活する中東系のムスリムは、けっこう上手に同化しています。とりわけ、年配者となれば、実にうまいものです。

これに対して、同じムスリムでも、「純粋で真面目な若者」は苦労しているようです。

どこの国でも、若者は血気盛ん。

ゆえに、利用されやすく、極端な行動に走りやすいのも事実。

ハンチントンの予測から10年以上が経過した現在においても、世界の主流は、まだまだ「西欧文明」です。少なくともアメリカ人やイギリス人は、そう思って(信じて)いる?

しかし、中国やインドなどの台頭により、「西欧文明」ではない勢力が、力をつけてきていることは、なかなか興味深いところ。

西欧文明が「無理やりに同化させられる」までは無いにしても、様々な局面において「妥協させられる」ことは増えるはず。

そうした「小さな同化」にさえ、果たして西欧人は耐えられるのだろうか?

などど心配してしまいます。

作者としては、世界の人々が、ほど良い距離感で付き合い、希望を持ちながら、安心して暮らせるようになって欲しいなあと願うばかり。

その一歩として、「多様性が当たり前の社会」を目指したいものでございます