韓国の戸籍廃止はデジタル化の一環ではなく、ジェンダー平等と現代的な家族制度への移行
日本では、韓国が2008年に戸籍制度を廃止して個人単位の家族関係登録制度に移行したことを、電子政府や行政のデジタル化の一環として説明することがあります。
しかし、この改革の本質は、当時の戸籍制度が男女平等を定める憲法の原則に反していたという憲法裁判所の判断を受け、憲法の価値観に即した現代的な身分関係(家族・親族関係)登録制度へ移行するための法的・社会的改革にありました。
(1)韓国の戸籍制度の歴史
韓国の戸籍制度の歴史は、おおよそ次のように整理できます。
李氏朝鮮(1392–1910) 儒教導入、夫婦別姓・族譜の定着:父系血統重視の文化的基盤形成
1922年 朝鮮戸籍令公布(1923施行):日本式家制度の導入、宗族登録強化
1947年(日本)戸籍法改正、家制度廃止:家父長制排除
1958年(韓国)民法制定、戸主制採用:儒教遺産の継承
1962/1968年 住民登録法制定・改正:軍事政権下の厳格管理、指紋義務化
2005年 憲法裁判所判断(戸主制違憲):ジェンダー平等の推進
2008年 戸籍廃止、家族関係登録法施行:個人単位移行、養子柔軟化
朝鮮半島では、中国の影響を受けて高麗や李氏朝鮮時代から「戸籍」が存在し、租税や兵役を目的とする人口・居住登録が行われていました。大韓帝国期にも戸籍は存在しましたが、この当時は親族関係よりも居住登録を重視していました。
1922年、朝鮮総督府は「朝鮮戸籍令(1923年施行)」を公布し、日本の戸籍制度を導入しました。14世紀末の李氏朝鮮時代から儒教(特に朱子学)が国家の統治理念として強く採用されてきた朝鮮は、儒教的家父長制の価値観が日本以上に根強い社会だったので、家父長を基礎とする日本式家制度は比較的抵抗なく受け入れられました。
(2)儒教と夫婦別姓
韓国の戸籍を理解する上で、朝鮮半島における夫婦別姓制度の知識が欠かせません。朝鮮半島の夫婦別姓制度は、儒教思想の深い影響を受けながら形成されたもので、「父系血統の維持」と「家族の純粋性」を重視する文化的基盤に根ざしています。
李氏朝鮮時代からの国家統治理念として、儒教の「家父長制」と「孝道」が社会規範となり、姓は「家系(宗族)の象徴」として厳格に扱われました。女性は結婚後も自分の父系姓を保持し、夫の姓に変えることは血統の混乱を招くとして避けられました。現在の日本で議論されている「当事者が姓を自由に決められる夫婦別姓制度(選択的別姓)」とは全く異なるものなので、注意が必要です。
この夫婦別姓により、姓は父から子への垂直的継承を保証するもの(父系血統を維持して血統の純粋性を守るための仕組み)となりました。 朝鮮王朝の法典(経国大典、1485年)では、姓の同一性が同族結婚の禁止基準としても用いられ、夫婦別姓が制度的として定着していきます。
先に述べたように、1909年の「民籍法」で親族調査を開始し、1922年の「朝鮮戸籍令」により、日本式の戸籍が本格導入されましたが、朝鮮の伝統的な「族譜」(家系図)を基盤に宗族(氏族)の血統を登録して、日本とは異なる「朝鮮式の戸籍」としました。朝鮮式の戸籍では、戸主(通常長男)を中心に、父系継承を義務付け、姓・本貫・血縁関係を詳細に記録することで、植民地統治での人口管理の効率化という日本の目的を達成しつつ、朝鮮半島における宗族の血統的純粋性を維持するよう制度化されたのです。
父系血統を維持して血統の純粋性を守るために、「朝鮮式の戸籍」では、実子(特に男子)がいない家が、祖先祭祀の断絶を避けるため「同姓同本」(同じ姓と本貫(一族の始祖の出身地やルーツとなる土地))の父系親族から養子を取る「立後・継後」制度も組み込まれて、異姓養子は血統の汚染として禁じられました。 儒教思想や慣習が「戸籍」という制度によって強化・保障されたのです。
(3)戦後の制度変化
戦後の日本では、1947年の戸籍法改正で家制度を廃止し、戸籍制度から家父長制が排除されて「戸主」から「筆頭者」をインデックス(索引:戸の識別情報の一部)とする新しい近代的な戸籍制度へ移行しました。一方、朝鮮は戦後に大韓民国となった後も、日本式家制度を大きく変更しませんでした。韓国の民法(1958年制定、1960年施行)で、日本統治期の戸籍制度を継承しつつ、『戸主制』を正式に採用しました。これも、儒教の強い影響によるものと言えます。
さらに、1961年から25年以上続いた軍事政権下では、徴兵制度の運用とともに戸籍管理が厳格化されました。また、1962年の住民登録法の制定後、軍事政権下で厳格化され、1968年の同法改正により北朝鮮スパイ対策として指紋押捺義務が課される住民登録証制度が始まりました。
2005年、韓国の憲法裁判所は戸主制を憲法違反と判断し、民法改正により2008年1月1日に戸籍制度を廃止しました。これに代わり「家族関係登録等に関する法律」が施行され、家単位ではなく個人を基準とする家族関係登録簿が作成されるようになりました。この際、家の根拠地を示す「本籍」は廃止され、各種申告を処理する管轄を定めるための「登録基準地」が新たに導入されました。
戸籍制度廃止に伴う民法改正により、養子制度も柔軟化されましたが、文化的には宗族意識が残り、現代の相続争いや家族観に影を落としています。しかし、宗族意識は家族の絆を強める側面もあり、必ずしも「負の遺産」というわけではありません。
(4)デジタル社会への対応と戸籍の関係
個人を単位とする家族関係登録制度は、家を単位とする旧来の戸籍制度に比べて情報処理や電子化に適していますが、エストニアや北欧諸国のように居住登録と身分登録が統合された人口登録簿とは異なり、行政情報の統合性やデータ相互運用性の点では未だ不十分な制度であると言えます。韓国では身分関係を扱う「家族関係登録簿」と、居住・住所情報を扱う「住民登録制度」が別個に存在し、行政情報の統合性ではエストニアに劣ります。
エストニアが「世帯」や「扶養」の関係を動的データとしてリアルタイムに把握して自動処理できるのは、人口登録簿を中核に各種データベースが連携し、行政・福祉・税・教育などの分野を統合的に運用できるからです。データ交換基盤のXロードと併せて、1990年代にリレーショナルデータベースとして設計された人口登録簿データベースは、エストニアのデータ駆動型のデジタル国家を支える最重要基盤になっています。
参考資料
家族関係登録制度の意義|大韓民国裁判所電子家族関係登録システム
(家族関係登録の意義(個人単位・証明書公示)、2005年憲法判断(戸主制違憲)、2008年施行、登録基準地(本籍代替)、養子登録の変化など)
金永「韓国における戸籍制度と個人情報の分離 ― 韓国家族関係登録法との交錯」新潟大学大学院
(戸籍歴史(1922年公布)、儒教の父系影響、2005年判断(6対3で違憲)、夫婦別姓・養子改正の文脈など)