エストニアと台湾の違いに見る、デジタル民主主義の本質

日本では、台湾のデジタル民主主義が先進事例として取り上げられることがあります。オードリー・タン氏に象徴される台湾のデジタル化に関する取組みは、日本にとっても学ぶべきことが多いですが、いくつかの注意点があります。

(1)監視型デジタル民主主義

台湾のデジタル民主主義はしばしば「参加型」として評価されますが、その基盤には国家による包括的データ連携が存在します。このため、私はそれを「選択の自由が限定された監視型デジタル民主主義」と呼びます。これは、現在の台湾のデジタル政府は「戒厳令期に築かれた中央集権的個人管理システムの延長線上」にあることを意味します。

同じく高いデジタル化を誇るエストニアと比較すると、その違いがより明確になります。台湾が「行政統制の延長としてのデジタル化」であるのに対し、エストニアは「民主的価値を前提にしたデジタル化」を制度設計の段階から実現しています。

例えば、台湾における新型コロナ(COVID-19)への迅速な対応は、国民の個人番号と健康保険データの連携といった政府内の個人番号紐づけだけでなく、民間サービスである携帯番号にも個人番号が紐づけられていたからできたことです。

個人番号で携帯番号の所有者を特定・追跡できて、かつ位置情報で所有者の追跡も可能にすることで、政府による国民のリアルタイム監視を行っています。新型コロナのような緊急時には、オプトインによる個人データ利用ではなく強制・義務による適用が多く、国民の選択肢は限定されていました。

一方、エストニアでは、台湾と同様に携帯番号と個人番号が紐づけられていますが、新型コロナ対応においても、当時の司法長官が携帯電話による位置情報の提供・利用をプライバシー保護や憲法遵守の観点から明確に否定しました。この差は、エストニアと台湾とのプライバシー保護やデジタル監視リスクへの意識の違いから来るものです。

「デジタル民主主義」の視点で両国を比較すると、台湾は「デジタル統治が民主化を後押ししている段階」であり、エストニアは「民主主義がデジタル統治を制御している段階」と言えるでしょう。

台湾のデジタル化は、もともと戒厳令体制下(1949–1987)の行政的統制の延長線上にあります。戸籍制度と国民身分証明書によって、個人識別は非常に厳密に管理されてきました。その延長で、国民身分証番号(国民ID)を中心とした政府システム統合が進み、健康保険カードや携帯番号、納税情報まで紐づくようになりました。新型コロナ対応時には、この仕組みを活用してマスク配給・感染経路追跡・隔離管理を短期間で実施できました。

このように、台湾のデジタル化の成果の背景には、「国民管理・監視基盤としての情報連携」という構造的要素が存在していました。「オープン・ガバメント」や「共同参加型の民主主義」など、オードリー・タン氏が提唱し主導した取組みは、政府の既存デジタル基盤を民主的方向へと再設計する試みでした。しかし、その基盤自体が統制型の情報システム上にあるため、その制度的制約を超えることは容易ではありません。

一方、エストニアはソ連からの独立回復後の1990年代に新しい憲法に基づき民主主義とデジタル国家を同時に設計しました。国民・住民の個人番号やデジタルID(電子的な身分証明書)は国家が発行しますが、個人データの利用は常に法的根拠と本人のコントロールが前提となっています。すべての行政データへのアクセスは「誰がいつ見たか」を本人が確認できる監査ログ(X-Road監査)によって透明化することで、「国民が政府を監視する仕組み」をデジタル技術と法制度により確立しました。

新型コロナの際に、携帯位置情報を用いた監視を政府が提案した際、司法長官が否定したのも、政府による過剰な国民監視は「基本権の侵害にあたる」と判断したからです。ここには、「国家は技術を使うが、市民の権利を超えてはならない」という明確な法的境界線があります。


(2)台湾の「デジタル民主主義」がもつ二面性

台湾では、政府に対する信頼水準が比較的高いと言われており、特に蔡英文政権期にはパンデミック対応で信頼度が上昇しました。しかしその信頼は、「権力への批判を通じて獲得された信頼」ではなく、「統治への依存を通じた信頼」という側面が強くあります。

戒厳令(1949–1987)は、世界でも稀な38年間の長期的軍事統治でしたが、この期間、情報統制・監視・密告・思想取締りが日常化し、「国家が秩序を守る存在」という意識が社会に深く根づきました。その後の民主化も、1980年代後半から1990年代初期の「漸進的な体制移行」であったため、行政的権威の構造が完全には解体されませんでした。

そのため、「監視」や「データ利用」が「国家が国民を守るための手段」として比較的容易に受け入れられる文化的土壌が形成されていたことで、携帯位置情報を用いた国民の監視についても、(少なくとも表面的には)大きな反対が無いまま、円滑に進めることができたのです。

オードリー・タン氏が提唱する「ラディカル・トランスペアレンシー(徹底した透明性)」や「オープン・ガバメント」は、確かに理想的な民主主義理念です。しかし台湾では、それらの概念が民主的チェックの手段というよりも、政府の近代的・先進的イメージを補強する装飾的要素として機能している部分があります。

パンデミック時の「マスクマップ」や「感染経路可視化」は透明性の象徴とされましたが、個人の行動データの利用プロセスや削除基準は不明確でした。政府が「オープンデータ」を強調する一方で、軍事・治安・行政監視データは厳格な非公開領域として維持されていますが、その境界は必ずしも明確ではありません。このように「開かれた国家」というブランドが、実質的な権力監視機能を伴っていないことがしばしばあります。

オードリー・タン氏は、台湾社会において「テクノロジーと多様性の象徴」として特異な地位を持ちます。個人としては確かにリベラルで、透明性・協働を重視する信念を持っています。しかし、その活動の多くは、国家が構築してきた情報インフラ(統制型ID・健康保険システムなど)の上に成り立っているため、制度的限界の外には出られません。結果的に、国内外でタン氏が「デジタル民主主義のアイコン」として語られる一方で、実際の台湾政治は依然として中央集権的で行政主導的なのです。

現在の台湾のデジタル民主主義は、「透明な国家」ではなく「管理の巧妙化した国家」として理解すべきです。オードリー・タン氏の理念は、既存の行政統制的デジタル体制を民主的に変換しようとする「内部改革の試み」ですが、まだ社会的に定着していない発展途上の段階です。

台湾は、いま「統治文化の変革期」にある。
その変革の象徴が、オードリー・タン氏である。
しかし制度の深層には、いまだ戒厳令時代の構造が残っている。

この三点を押さえると、「過大評価」と「過小評価」のどちらにも陥らずに、デジタル民主主義の台湾モデルをより正確に理解できます。日本が台湾モデルから学ぶべきは、「技術」そのものではなく、その技術がどのような統治文化と価値観の上に築かれているのかを見極める姿勢だと言えるでしょう。