デジタル教科書にもオープンガバメント的な発想を

アゴラに中村伊知哉氏が「デジタル教科書、正念場」を寄稿しています。

電子政府とも関係があるので、今回は「デジタル教科書」について考えてみたいと思います。

中村氏も指摘されているように、「教育を改革すべき」と思う人は多いようです。

作者も、日本の教育制度が時代に合わなくなってきて、国際競争力低下の一要因にもなっていると思います。

●子供たちにはデジタルツールが必要不可欠

「デジタル教科書」は、言うまでも無く「ツール(手段、道具)」の一つと思います。

メールや携帯もツールで、どのように使いこなすかは、利用者自身の環境(生活、仕事)や思想などによって異なります。

作者の場合、仕事の上では、デジタルツールは欠かせません。携帯・パソコンといったハードウェア、ウェブやクラウドサービスといったソフトウェアなどです。

その用途は、情報の入手・加工、相談・連絡・報告、思考の整理、文章の作成(ブログから政府系の報告書まで)のように様々です。

プライベートでも、携帯やパソコンは使いますが、仕事ほどには使いません。まあ、無くても多分なんとかなるかなと。でも、あれば大変便利ですし、無いと困ることも多いです。

「デジタル教科書」もツールなので、どんな形になるとしても、どのように使いこなすかは、利用者自身の環境や思想などによって異なると思います。

この場合、利用者は子供たちや先生です。

だから、子供たちや先生の環境や思想が「デジタルツール歓迎!」となれば、「デジタル教科書」は有効なツールになる可能性も高まります。他方、「デジタルツール反対!」と考える子供や先生が多ければ、「デジタル教科書」は役に立たないでしょう。

参考>>デジタル教科書、導入に賛成・反対?(年代別アンケート)

今の子供たちは、スマートフォンや無線機能を備えたゲーム機など、デジタルツールが生まれた時から身近にあって、当然のように使いこなしています。彼らが成長するに従って、デジタルツールを使いこなす必要性は高まっていくでしょう。

だから、このままデジタルツールを使いこなさなくても死ぬまで何とかなるような大人たちが、デジタルツールの悪い面ばかりを取り上げて、子供たちの邪魔をすることには反対です。

その意味では、「デジタル教科書」を一方的に否定することはできないと考えています。

●教科書の役割は、それほど大きいのか?

ところで、「教科書」ってそれほど大切なのでしょうか。

「デジタル教科書」を推進する人も、反対する人も、「教科書」を過大評価しているのかなと思います。

小学校の頃を思い出すと、教科書よりも、先生の解説や黒板に書いたことの方が役に立ちました。テストの前は、読み直したぐらいかな。

高校になると、教科書はお荷物でした。受験勉強には役に立たないし、学校の試験勉強にも使えません。試験の成績が良い同級生は、教科書ではなく、教科書に解説を加えた民間の参考書を使っていました。

だから、「デジタル教科書」で子供たちの可能性が飛躍的に高まるとか、デジタル脳になってバカになるとかは、どう考えてもあり得ないと思うのです。

だって、子供達が一日のうちで教科書に触れている時間って、ほんのちょっとですもん。「デジタル教科書」がいくら魅力的になっても、心配するほどの影響力は無いと思います。

そもそも、「デジタル教科書」っていうネーミングは、あんまりイメージ良くないと思うなあ。。

●教材のデジタル化は魅力的

作者は、日本語ボランティアとして、外国人の日本語学習を支援しています。かれこれ13年ぐらいやってます。

なので、学習方法やコミュニケーションについて考える機会があり、研修なども定期的に受けています。

学習者の理解度を高めるには、人間が記憶したり理解したり言語を使いこなすための仕組みや性質を知っておくと役に立ちます。

そして、実際の日本語学習では、どんな教材を使うかは、やはり重要です。

学習者の理解を深めるには、文章の一方的な読み聞かせはだけでは効果が低い。文字だけよりも、絵や写真や音、臭いなど五感に働きかけるものが有効です。

より強力なのは、体験させること。体験が難しい場合は、疑似体験も効果的です。

例えば、お茶を飲んだりお菓子を食べながら、お茶やお菓子に関する日本人の生活習慣を話すと、理解も深まったりします。日本人とお茶をしながら、どんな言葉を使うか、どんな会話を楽しむかなどを考えても良いでしょう。

iPadやiPhoneを使って、写真や音声や映像を見せながら会話をすることも試しています。最近、クラスで購入することになった「マンガで学ぶ日本語表現と日本文化―多辺田家が行く!!」も、本当はiPad版(会話や解説が聴けるような)が欲しいところです。

マンガで学ぶ日本語表現と日本文化―多辺田家が行く!!
創作集団にほんご
アルク

こうした経験があるので、学習教材のデジタル化については、全く異論はありません。どんどんデジタル化して欲しいと思います。

しかし、規制や縛りが多い「教科書」を、税金を使ってデジタル化する必要があるのか。となると、ちょっと違うかなあと思ってしまいます。

●デジタル教科書を進めるとしたら

作者が「デジタル教科書」の担当大臣だったら、次のようにするでしょう。

1 国の予算で、教科書として使えるデジタルコンテンツを作成する
2 作成したコンテンツは、誰でも自由に使えるようウェブ公開する
3 コンテンツを使って、実際の授業で使うデジタル教材を自由に作成させる

デジタル教材は、企業や学校、先生や子供たちが協働で作ると良いでしょう。利用者にとって使いやすい教材ができれば、使われる頻度も高まります。

利用者参加型サービスやオープンガバメントといった流れにも乗っているので、それほど無理のあるアイデアでもないと思うのですが。。。

ハードについては、予算と相談しながら、少しずつやっていくしか無いと思います。「全国一律、横並び」にデジタル機器をばら撒いたり、通信環境を整備すると失敗するでしょう。

私立・公立を問わず、国の支援を受けずともできる学校から始めて、成功した学校があれば、そこに少しずつ支援するのが良いと思います。

初めから補助金をもらうと、「補助金が切れたら終わり」というこれまでのパターンが繰り返されてしまうからです。

ソフトバンクやマイクロソフトとかなら、喜んで協力してくれそうな気がするんだけどなあ