日本のDXバブルから考える、電子政府のガバナンスとは

世界恐慌の起きる予兆として、「靴磨きの子供までもが株の話をするようになった」という話しがありますが、今の日本のDXバブルには似たような臭いを感じます。2000年代初頭のe-Japan構想の再来と言うべきでしょうか。。

デジタル田園都市国家構想などは、たぶん、景気対策(お金の再分配)としてはある程度は有効なのだろうけど、電子政府やデジタル国家の健全な発展という観点から見ると、かなり危うい。エストニアが、1990-2000年代にデジタル国家を構築していく中で、「とにかくお金がなかった」というのは、今考えれば大きな幸運でした。

これからの電子政府は、「持続可能性」が大きなテーマになると思いますが、それは国内の人口動態や地方の過疎化・人手不足などはもちろん、(現在は日本を上客と考える)デジタルプラットフォーマーとの付き合い方やデジタル安全保障なども考える必要もあり、そこでは「ガバナンス」が求められます。

電子政府のガバナンスというのは、「自分たちでコントロールできること」「自分たちだけではコントロールできないけど、影響は与えられること」「自分たちのコントロールが及ばないこと」を見極めて整理することから始めます。

日本の自治体のDXで、「書かない窓口」が注目されるのは、「自分たちでコントロールできること」のわかりやすい例と言えるでしょう。本来であれば、「そもそも窓口に来なくても良くなる」を目指すべきであり、そんなことは電子政府関係者であれば誰もがわかっているのだけど、それは自治体の職員はもちろん、ほとんどの電子政府関係者にとって「自分たちのコントロールが及ばないこと」なのです。

現在の日本の電子政府は、ガバナンスが確立していない状態と言えます。その意味では、いまだにスタート地点にも立てていないと思うのです。