地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す

地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す
ビョルン・ロンボルグ
ソフトバンククリエイティブ

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平和なイスラム信者が大多数なのに、目立つのは一部のイスラム過激派だったりする。

イスラム過激派も、よくよく主張を聞けば、そんなに変なことは言ってなかったりするのだけど、彼らが用いる手法は、どう考えても一般的に受け入れられるようなものではない。。

環境問題を考える人たちが、少数派から多数派になってきた中で、同じような混乱があるような気もする。

地球や環境への配慮は、人間の基本的な欲求とも関係が深いので、エコブームも悪いこととは思わない。

だけど、それが、ちょっと変な方向へ進んじゃってる場合は、「それは、ちょっと違うんじゃないの?」と異議を唱える人が出てくる。

これも、大いに歓迎するべきことだ。

ロンボルグの主張やコペンハーゲンコンセンサスでの優先順序付けは、納得できるところも多い。

けれども、これらが先進国で先進的な文化生活をおくる先進的な人たちの生活や考え方を変えることは、どう考えても難しい。

例えば、本書でも取り上げられている「栄養失調問題」などは、先進国の人々にとっては、ほとんど冗談でしかあり得ない。

バナナダイエットが流行って、店頭からバナナが消えてしまうような国では、「栄養失調問題」よりも、なんだかわからないけどオシャレな感じがする「地球温暖化問題」の方が、よっぽど魅力的である。

夏場でも、家を閉め切ってエアコンをつけていれば、蚊に刺されることも無い。そんな国で、マラリアで多くの人が死んでいると訴えてみても、果たしてどれだけの人が耳を傾けてくれるだろうか。

そんな身も蓋もないことを言いつつも、作者だったらどんな手法を選択するだろうかと考えると、「身近なところ」で「心にも体にも気持ちが良いこと」といったことでしょうか。

例えば、汚れている近所の河川を、最新の浄化技術できれいにする。実行するのは、学校の授業の一環として参加する子供や学生、そして近所の大人たち。

ヒートアイランドが激しい都会では、緑化運動も良いと思う。

大切なのは、「実際に体を動かして作業すること」と「成果を実感できること」である。

例えば、「河川のゴミ拾い」では、いくら拾ってもキリが無いので、疲れてやる気をなくしてしまうかもしれない。

しかし、「河川浄化」であれば、水の透明度が上がったり、今まで見かけなかった生き物を発見できたりといった成果を実感できる。

緑化運動も、緑が増えれば見た目も変わり、季節によっては花や果実を楽しむこともできる。

そんなことを考えさせてくれるロンボルグの著書は、やはり一読に値すると思う